シン読解力
はじめに
新井紀子さんの『シン読解力』を読んで、「学習言語」と「生活言語」の違いについて深く考えさせられました。
この二つの言葉の使い分けを意識することが、学びの質を大きく変えるのではないか——そう感じています。
学校で行われている多くの活動は、学習言語を生活言語に置き換えることなく形式的に進められているように思います。
その結果、「理解したつもり」で終わってしまう学びが少なくありません。
自分自身の経験をもとに、学習言語と生活言語の関係、そして「自分の言葉に置き換える」学習の大切さを考えてみたいと思います。
「語句調べ」が“作業”で終わっていないか
小学生の頃、教科書に出てくる新出語句を辞書で調べてノートに書く「語句調べ」の宿題がありました。
今でも多くの学校で続いていますが、あの作業は「辞書を引く練習」以上の意味を持っていたでしょうか。
当時の私は、辞書の説明をそのまま写して提出することが目的になっていました。
中学生のワークでも、新出語句の意味を書く問題がありますが、多くの生徒は同じように“丸写し”で終わってしまいます。
なぜ意味が覚えられないのか——それは、辞書に書かれた学習言語を、自分の生活言語に翻訳せずに写しているからだと思うのです。
というか丸写しすることが要求されていたので、書き換えたらダメだと思ってました。
ノートの「丸写し」と「まとめ直し」
授業ノートも同じです。
黒板を写すことが「きちんと授業を受けている証拠」だと考えられていると、ノートづくりは形式的になります。
一方で、授業後にノートを「まとめ直す」ことは、自分の言葉で学びを整理し直す作業です。
もし「まとめ直し」を自分の生活言語に置き換えて再構成する行為と捉えれば、それ自体が深い学びになります。
これはまさに「シン読解力」で語られている、“自分の中で意味を再構築する力”に通じると思います。
暗記シートづくりにも「読解力」が生きる
私の塾では、テスト前に「カンニングペーパー(暗記シート)」を作らせることがあります。
このとき、ただ解答を丸写ししてしまう生徒は効果が薄いですが、自分の言葉に書き換えながら作る生徒ほど理解が深まります。
自分の言葉にできない部分こそ、実はまだ理解できていない部分だと気づけるのです。
こうした“自分の言葉で表現する”訓練は、まさに「シン読解力」の実践そのものだと思います。
「自分の言葉にする」ことで、学びは深くなる
こうした学び方は確かに時間がかかります。
けれども、ひとつひとつ丁寧に自分の言葉で整理しながら理解していく方が、結果的には知識が定着します。
今後は、生徒たちにも「学習言語を生活言語に置き換える」意識を持たせながら、
語句調べやノートづくり、宿題など、日常の学習活動を丁寧に見直していきたいと思います。
おわりに
『シン読解力』を読んで改めて感じたのは、“わかる”とは“自分の言葉で言い換えられること”だということです。
形式的な学びを越えて、「意味を自分の中で再構築する学び」をこれからも実践していきたいと思います。
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