読書感想文『「叱れば育つ」は幻想』
所属しているニューロダイバーシティの主催者である村中先生が新著を上梓されるとのことで、改めて復習を兼ねて『「叱れば育つ」は幻想』を読み返しました。
読み進める中で、自分の普段の言動や過去の指導を振り返り、「気をつけなければ…」と冷や汗が出るような気づきがたくさんありました。
心に刺さった「苦痛神話」という言葉
本の中で特に印象に残ったのが「苦痛神話」という言葉です。 日本にはどこか「苦痛を伴わないと人は成長しない」「試練に耐えてこそ一人前」といった伝統的な価値観が存在します。「厳しさ」の意味を履き違えると、まさにこの「苦痛神話」に陥ってしまうのだと感じました。
私自身、まさにこの「間違った厳しさ」を生徒に押し付けていた時期があります。
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たくさんの宿題を課す
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合格するまで何度も確認テストや追試を行う
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できない子に対して叱咤する
こうした指導をしていると、指導する側としては「ちゃんと指導している」「全力を尽くしている」という強い満足感や「やった感」が得られます。保護者の方からも「私が言いたいことを先生がビシッと言ってくれた」と感謝されやすく、一見すると上手くいっているように見えるのです。
しかし、短期的にテストの点数を上げる効果はあったとしても、長い目で見ると子どもの自主性は育ちません。 「言われたからやる」の繰り返しでは、いつか「本当の成長って何だろう?」「強制されて取った点数にどんな意味があるのだろう?」という虚しさに突き当たります。
本物の「厳しさ」とは何か?
では、教育における「本当の厳しさ」とは何なのでしょうか。
それは、他者から与えられる恐怖やプレッシャーではなく、自分自身の「こうなりたい」という目標に向かって、妥協なく行動することなのだと思います。
外からの圧力でやらせるのではなく、本人が自分の意思で目標に向かい、自分自身に対して厳しくなれること。それこそが本来目指すべき「厳しさ」です。
教育者が担うべきスタンス
そう考えると、教育者(塾講師)が「厳しさ」を持って生徒に接するためには、恐怖で支配するのではなく、次の2つが不可欠だと感じます。
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指導を受ける側(生徒)自身に目標を持たせること
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彼らの状態や在り方に合わせて並走し、支えること
世の中で言われる「愛のある厳しさ」とは、単に怒ったり厳しく接したりすることではなく、生徒の目標に寄り添い、自立して走れるように支え続けるスタンスから生まれるものなのだと気づかされました。
私自身この「理想の関わり方」を実践できていません。つい手っ取り早い指導に流されそうになったり、試行錯誤しながら葛藤する日々です。
ですが、「苦痛を与えること=成長」という幻想から抜け出し、一人ひとりの生徒が自分の目標に向かって自走できるよう、一歩ずつ自分のスタンスをアップデートしていきたいと思います。
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